昭和44年07月13日 特別奉修委員



 今朝からの御理解を頂いて、いよいよその思いを深くする所があるんですがね。皆さんもそうだろうと思いますが。その事を只今、あのう御祈念中に、まぁ思わせて頂いておりましたら、あのうお生花の時におげんちょうの中に使います、こう二股のあれがありますよね。あれは何と言うでしょうか。あれを頂いて、そうおげんちょうをまた次に頂いて。そしてそれにとこう、あのうお生花が一本一本こう、綺麗に入れ上げられて行くとこを頂くんですね。
 そしてそれが一つひとつ例えば、例えば中心の私なら家内。いわゆる真副体ですよね。そしてそう親達子供達が全部その数だけの寸方、寸方あのがこうキレイにあのう、活け上げられて行くとこを頂くんですよ。本当に私達まぁ私は今朝はあのう、こう自分の事として話し、またおかげを受けなければならないという事でも限りはないのですけれどもね。ここではね、実際は大変おかげを受けておるという事ですね。
 例えば私が自分に二心があるから、おかげ頂っきらんのだと言った様な意味のもんじゃない。そのここにピシッと止めてこのあの、このうこの何て言うんですか。一つの花が活け上げられる。それを見てから言うべきだという意味の事を頂くんですよ。考えてみるとなら長女が、長男が、子供達が、家内が、親達が。もうそれぞれの持場立場で。、キチッとその用を成して。
 一つのおげんちょうに生け上げられたように、私の方でおかげを受けておるという事ですね。ですけれどもここで思わなければならん事が、一つだけがこっち向いておったらあっち向いとったり。それはやはりあの、短さも違うし方向も違いますよね。こちら向いとるともこうあるけれども、それが一つの形にいわゆる、そのお生花ならお生花のその形にピチッとはまっておればいい。おかげ頂いとるという事です。
 けれども一本が向こう向いて、あのそのう型を言えば崩しておるという事ですね。とい様なのならばやはり今日の御理解を、いよいよ本気で頂かなきゃならんという事が言える訳ですよね。で皆さんのお家でも。だから思い過ぎはいけませんですよね。けどもおかげを受けておるところは、おかげを受けておる。そういう意味合いにおいてから、合楽の場合はおかげを受けておるなぁと。いかにも言う事を聞かんようにあるけれども。
 短いようであるけれども、それがそこの場をちゃんと務めておるという事ですね。私の方の場合なんかはもう、その一人一人がその御用を受けたまっておりますですもんね。合楽教会が維持されるとか立って行く事の為に、もう様々な御用ようにこう、皆が使われておるという事ですよね。本当に有り難いと思いますね。どうぞ今日の御理解に合わせて今のところを、もう一つ頂いとかないけん所だと思うですね。
   どうぞ。